救助活動
早月尾根
剣岳の西面に伸びる長大な尾根で、山岳警備隊の常駐する馬場島からの入山になるため、アプローチが他のルートに比べると短くなっています。そのため、冬には最も多くの登山者を迎えるルートで、積雪期の入門ルートとされています。それでも、2600mより上部は急な雪壁や、谷に切れ落ちた部分の通過など、気を抜けずそれなりに困難なルートであると言えます。
とはいったものの、年末年始や、ゴールデンウイークなどは多くの登山者が入山するため、トレースを辿って比較的簡単に登れてしまう事が多いようです。
私の早月尾根
そんな感じのルートですが、私にとっての早月尾根はちょっと違います。実際、剣に一年を通して結構通っていましたが、この尾根からの剣岳の登頂は、結果的に一度もありませんでした。というのも、所属していた山岳会の合宿で早月尾根を登る機会が一度もなかったのです。従って、殆どの場合、他のルートから剣岳の本峰に登頂して、その下山ルートとして早月尾根を下降したのが、この尾根を辿った殆どの経験でした。
別のルートから登っているので、早月尾根の下降は未知数で、登山者が多くてトレースが入っていれば、比較的、楽に短時間で下る事ができましたが、悪天やある時期を逃すと、トレースは雪に埋もれて消えてしまい。ルートを探しながらの下降で結構苦労した思い出もあります。特に悪天時は視界も悪いので間違えて支稜に入ってしまったりした事もありました。そんな経験もある為か、あまり「簡単」という印象はあまり残っていませんでした。
救助活動
そんな中で、1つだけ貴重な経験がありました。以前の回想録で書いたと思いますが、ある年の冬、小窓尾根から途中下山して帰宅した後、仲間の救助要請のニュースを聞いて、富山に戻った事がありました。当然、エキスパートの彼らが身動きを取れなくなっているわけで、簡単に現場に行けるはずもなかったのですが、強い冬型の気圧配置が続いて天気の回復が見込めず、ヘリによる救出が難しい場合に備えて、西面から剣岳の本峰を目指して、アマチュア無線による連絡ルートの確保もかねて早月から登る事になったのでした。
とんぼ返り
確か、下山した翌日にニュースを見て人を集めてその日のうちに車に分乗して伊折に入りました。取り合えずかき集めた装備、食料を各自に分担して馬場島を目指しました。一部の人たちは馬場島荘で色々な連絡にあたり、残りのメンバーはそのまま一気に早月小屋に入ることになりました。
早月尾根の登り
いつもは下っていた早月尾根ですがいざ登りとなるとその長い事、改めて実感しました。それでも、残っているトレースに助けられて何とか高度を稼ぎます。途中交代か何かで下山する山岳警備隊の人たちとすれ違って、早月小屋には分隊長も含めて何人かが入って待機していると言われました。その日は暗くなっても、ヘッドライトをつけてでも早月小屋に入るのが目標で疲れている体に鞭打って登ったのが今でも記憶に残っています。通常は途中で一泊して早月小屋に入るのが冬の一般的な行動ですが、この時は事態が事態だったので一気に登ってしまうという事でした。何とか薄暗くなるくらい多分午後6時過ぎには、1番乗りで早月小屋に入りました。警備隊の人が食事を作って待っていてくれて、とにかく先に食べてよいとの事だったので、食事を頂いて休息をとって後続を待っていました。その後後続もなんとか小屋に入ってひと段落だったのですが、一人だけ届かなかったようで、一旦少し下りて様子を見に行きますが、経験もあるベテランという事で途中でビバークに入ったということで、一旦小屋に戻りました。(やはり、その人は途中でビバークをして、翌日登ってきたのでした。。。)
上部に向けて
翌日も天気は悪く、前日のトレースも雪に隠れて、消えつつありました。まだ、後は残っていたので良く見ると分かりましたが消えるのは時間の問題でした。上部へのトレースは分からなくなるほど雪が積もっていました。今考えると、途中ですれ違った警備隊はもしかしたら、私たちの為にトレースをつけるために下山して行ったのかもしれないとも思います。
そんな中、警備隊の人たちは前にルートを伸ばして行きました。行動はとても慎重である程度急な斜面には全て固定ロープを張って、目印に赤旗を立てて先へ進んで行きました。私たちも交代で前に出てラッセルして2600m地点でいい時間になったのでそこにテントを張ってその日の行動は終わりました。
一瞬の晴れ間
朝のトランシーバーの交信で一瞬の晴れ間をついて、ピックアップを試みると言うことで朝食を済ませたあと、外の様子を伺っていると、ヘリが近くまで飛んできたのは分かりましたが、現場には近づけずピックアップは出来ずに戻ってしまったようでした。
そんなわけで、翌日の行動はパーティを二手に分けて、2600mに残って待機するメンバーと上部に向けてルートを延ばすメンバーに分かれる事になりました。警備隊からは2名が上に行くことになり、私たち、山岳会の有志からは3人ほど上に行くことになりました。たまたま、体力を買われてか私も上に行くことになりました。メンバーの中では一番経験も少なかったので多少の不安はありましたが、取り合えず上に行くことになりました。2600mより上は急な場所も多く、地形は意外に複雑で前日と同様ロープを張って赤旗を立てながらルートを延ばしました。
獅子頭の手前の急斜面に雪洞を掘ってそこに泊まる事になりました。みんなで作業して、1時間強でそこそこの大きさの雪洞をが出来上がり、そこに入って様子を伺う事になりました。
停滞
その日はまだ、天気の崩れは大したことはなく、雪が降っている程度でしたが、夜になって天気が崩れて、結構な吹雪になりました。夜は交代で約1~2時間置きに入り口の除雪をして雪に埋まってしまわないようにしました。1時間もすると相当の雪が積もっていて、除雪するのに約1時間位かかったように記憶しています。
翌日も大荒れの天気で、動きもとれずその日はその雪洞で様子を見ることになりました。雪洞は湿気は高いですが、風の影響もなく、入り口の面倒を見ていれば余り悪天を意識せずに結構快適な住まいでした。昼間は雪かきと食事以外はすることもないので、大先輩たちといろいろな話をすることが出来ていろいろな意味で勉強になりました。
さて、自分たちの仲間以外にもその年は助けを求めるケースが発生して警備隊も大忙しだったようですが、ここ剣にもまだ行動している別のパーティがいるらしく、そのパーティの安否が警備隊の中でも話題になっていました。
その日の夜もその雪洞でやり過ごして、翌日2名程が獅子頭を越えて上部の偵察に行きました。どうも、その別のパーティはこの悪天を押して行動して、本峰から下山中らしく、午後、合流して、私たちも降りられる所まで下山することになりました。天気は吹雪のままでしたが、翌日は天気が回復するらしく、早朝からヘリによる救助が予定されていました。
ビバーク
下山を始めたのが遅かったのでその日は2700m付近で時間切れとなりました。この場所は風の通り道で吹きさらしになっていて雪洞を掘るには十分な雪はなく、テントも持っていないので、ツェルト(簡易テント)をかぶって一夜をやり過ごすことになりました。
幸い燃料も食料も十分にあったので、輪を作るように座って、火を囲みながらツェルトをかぶって色々なものを食べながら夜を越しました。外は風が吹き荒れ結構寒かったですが、コンロの火と暖かい飲み物、食べ物があって、話をしながらの一夜でした。一時はどうなるかと思いましたが、何とかなるもんだなあと思いました。殆ど眠ることは出来ませんでしたが、食べるものは食べていたし、雪洞でそれなりの休息も取れたので元気でした。
救助成功!
翌日は早朝日の出と共にヘリコプターが出て、何とか無事救出する事ができたようで、警備隊のトランシーバーの交信でそれを聞いて一安心でした。さて、またあの長い尾根を下山かと思っていたところ、合流した別のパーティも含めて警備隊のヘリコプター「つるぎ」(先代のつるぎ)でピストン輸送して、メンバーを馬場島まで下ろす事になったらしく、自分もヘリに乗せてもらって一気に馬場島まで下山しました。その後は、馬場島荘でまた暖かい「普通の」食事を食べて伊折まで下山して、そのあと救助された仲間と共に途中で食事をしてその日のうちに帰宅しました。家に戻ったのは午前3時を回っていたように記憶しています。すでに、会社が始まっていて、1~2日休暇扱いにしてもらっているのもあって、翌日は疲れていましたが、出社して仕事をしました。これは、とても辛かったです。
貴重な経験
この経験は非常に貴重な経験になりました。この後いろいろな登山をしましたが、この時の経験で精神的にかなり鍛えられて、少しぐらいの事では動じなくなりました。なんというか、「人間は強い」ということを実感しました。「人間は弱い」ものというのも、また事実ですが、あれだけ厳しい状況でも冷静にそういう事態に備えていれば、何とかなるのも事実です。特に凄いと感じたのは、警備隊の方々でした、どんな状況でも冷静であわてる事もなく、一緒にいて大変安心感を覚えました。そして、警備隊の人たちは本当に凄い!と思いました。
そんな数少ない早月尾根の出来事でしたが、この時の経験も八ツ峰と同じくらい印象に残った、ある意味、八ツ峰以上の経験でした。
(回想録はつづきます)
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