冬の八ツ峰
念願の冬の八ツ峰完登この年の冬は、長年の課題だった冬の八ツ峰を完登する事ができました。12月26日に入山して、1月3日に下山するまで9日間での踏破でした。
入山前は寒波が来てまとまった雪が里にも降って行きの電車が遅れて信濃大町の駅で約半日足止めされての入山でした。山の中でも晴天の日を挟んで天気が崩れ、深雪のラッセルを強いられるました。それなりに厳しい条件での登山でしたが、過去の八ツ峰の経験と、途中のハシゴ谷乗越に荷揚げした食料と燃料にも助けられて何とか登る事ができました。
主な行動概要:
- 1日目:扇沢に向かう道の冬ゲートから関電トンネルを経て黒四ダムまで (雪から晴れ)
- 2日目:黒四ダムから内蔵助平 (小雪)
- 3日目:内蔵助平~ハシゴ谷乗越~I峰III稜に取り付いて幕営(雪)
- 4日目:I峰III稜下部からP4頂上まで(吹雪)
- 5日目:P4からI峰頂上(吹雪)
- 6日目:I峰頂上~V-VIのコル(曇り時々晴れ)
- 7日目:V-VIのコル~VI-VIIのコル(吹雪)
- 8日目:VI-VIIのコル~剣岳本峰~早月小屋(晴れ)
- 9日目:早月小屋~馬場島~伊折(曇り)
今回の登山
どうしても登るという強い思いもあって、メンバーの一人が秋に燃料と食料をハシゴ谷乗越に荷揚げしました。多くのパーティが荷揚げなしで八ツ峰に登っているのも事実で、いろいろ議論もあるかと思いますが、今回はアプローチの荷物の軽減と、悪天に向き合うためにも荷揚げをしました。精神的には結構助けられた部分は多かったと思います。
過去の経験
5月も冬も剣に通って、持って行く物もだんだん厳選されて、荷物も必要最小に近づいてきたのも助けになったような気がします。そうは言ってもまだまだ余計な物も持っていたと思いますが、装備に対する不安は少なかったように思います。例えば、寒さに対する不安とかは、余りなかったと思います。
冬の厳しさ
とにかく深い雪のラッセルに重い荷物は一番の苦労でした。体力的に苦しめられるうえに、ルートにロープを張る必要があるので、時間がかかりました。当たり前かも知れませんが春の比ではないと思います。思いの他、I峰直下や、VI峰の大きな登りは時間もかかりましたし、他の人が登るのを待つ時間は着込んでいても結構寒かったです。
V-VIのコルも春はそこそこ快適なテント場ですが、降雪中は両側が急な斜面なので雪が流れ落ちてきて吹き溜まりのようになって除雪も大変だし、居心地は余りいい場所ではありませんでした。
VI-VIIのコルもその日はVI峰の登りだけで時間切れになって、かなり狭い尾根を切り崩して何とかテントを張りました。用を足すのもままならない場所ですが、他に選択の余地はありませんでした。
(朝日に染まるチンネ、中央やや左の岩峰がクレオパトラニードル)
とにかく雪と格闘山岳警備隊
正月など入山者が多い時期には、剣岳には富山県警の山岳警備隊が常駐して、登山者の指導や遭難発生時の救助活動をしてくれています。
今回も、入山時には「山タン」と呼ばれる雪崩に埋まった際に電波をだして救助の助けにするペンダントのようなものを持って、入山手続きのために信濃大町の駅に立ち寄って頂きました。
また、天気が良く視界がきく日はヘリを飛ばして、登山者の状況を確認をしたりして頂いているのが分かり、精神的にも「守られている」感じを受けました。それが、いいか悪いか、いろいろ議論もあるでしょうが、そうした方々の力がある事は忘れてはいけない事だと思っています。
実際、私も後日、警備隊の皆様に助けてもらうことになりました。その話はまた、別途書こうと思っています。
正月など入山者が多い時期には、剣岳には富山県警の山岳警備隊が常駐して、登山者の指導や遭難発生時の救助活動をしてくれています。
今回も、入山時には「山タン」と呼ばれる雪崩に埋まった際に電波をだして救助の助けにするペンダントのようなものを持って、入山手続きのために信濃大町の駅に立ち寄って頂きました。
また、天気が良く視界がきく日はヘリを飛ばして、登山者の状況を確認をしたりして頂いているのが分かり、精神的にも「守られている」感じを受けました。それが、いいか悪いか、いろいろ議論もあるでしょうが、そうした方々の力がある事は忘れてはいけない事だと思っています。
実際、私も後日、警備隊の皆様に助けてもらうことになりました。その話はまた、別途書こうと思っています。
特にVI峰の登りでは急な雪の斜面の登りに、数日で積もった大量の雪の処理に悩まされました。下りではあらかじめ雪を崩して、意図的に雪崩を起こすようにして、自分たちが雪崩に巻き込まれないようにラッセルしました。斜度があるので、軒並み胸まで潜るような感じのラッセルで、下りとはいえ全くはかどらず、丸一日、早朝から夕暮れ時まで行動して、VI峰を超えるのがやっとでした。
同じようにI峰の登りでもP4からI峰に抜けるまでは終始ラッセルと雪のついた稜の処理で時間を取られて、I峰に抜けた時には暗くなり始めていて、冬の短い昼の時間を目一杯使っての行動でした。
美しい雪稜
前述の通り、VI-VIIのコルにテントを張りましたが、本当に狭い場所で整地するのも一苦労でした。前回の春の写真も似たようなアングルから撮っていますが、地形が全く違うのが分かるかと思います。比べてみてください。そうした苦労とは裏腹に、ただ雪の稜を見る分には本当に綺麗で美しい景色だと思います。そんな景色を間近に見ることが出来たのは、本当に一生の記念に値する光景だったと思います。写真ではあらわすことが出来ない物があると思いました。
吹雪の後の景色
吹雪の中の登攀は厳しいですが、一旦この悪天が去って晴れ渡ると、それは見事な景色が広がりました。大量の雪と風で作られた、雪稜や風紋は本当に綺麗でこのときの景色は忘れる事ができません。特にVII峰から上では、雲ひとつない快晴に恵まれて立山から伸びる来たアルプスの山々を一望する事ができました。
八ツ峰の魅力
こうして、何度かの挑戦の末、冬に登ることが出来た八ツ峰ですがいろいろなことを教えられ、学んだ山だった気がします。それまで、「登れて当たり前」と思っていた山登りですが、実は登るれないのが普通で、登るためには「考える」事を要求されるという事を学びました。
何回も通って、同じ季節でも同じ「顔」だった事は一度もありませんでした、刻々と変わる状況の中で的確な判断をしないといけないことも思い知らされましたし、その中で「前に進まないと登れない」ことも当たり前のことですが、身をもって思いしらされました。その場に言って、さらに前に行かないと登れないこれは、他のことにもいえる紛れもない事実だと思います。反面「突っ込みすぎる」と痛い目に会うのが山というか自然の恐ろしいところでもあるわけです。
大げさかもしれませんが、その後の生き方に大きな影響を与えた経験、それが八ツ峰だった気がします。
今となっては、関電トンネルが冬季に立ち入り禁止になっているようなので(未確認ですが。。。)、後立山を越えるか剣岳を登って入山しないと近づけない、ある種の「聖域」のようになってしまいました。そうなると、よほどのパーティでないと登るのは難しいのが現実だと思います。
自分たちは、トンネルをアプローチに使って半分ズルをして登ったのかもしれませんが、それでもなお自分にとっては一番の山だったように今でも思えます。幸いにも天気が良かった日に撮影した写真が残っていたので、自分が見た一部でも他の人に見て頂いて、そんな思いの一部でも感じ取って頂ければ幸いです。
八ツ峰の話はこれで終わりにします。
剣の思い出話はまだつづきます。
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