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5月, 2010の投稿を表示しています

メモリアルデーウイークエンド(2010年5月29日~31日)

ロングウイークエンド (日本語補習校の運動会) 久々の祝日  今週末は、月曜日がメモリアルデーで休日の為、3連休でした。その前は二月だったので、久々の連休です。日本に比べて祝日が少ないのでありがたい週末のはずでしたが、土曜日は日本語補習校の運動会があったために、他に予定を入れられませんでした。  毎年、何故かこの時期なのですが、いつもの年は、一週早いため、学校が終わったあと出かければ、キャンプなどにも行けたのですが、今年はほぼ終日運動会で、いろいろ疲れるため遠出の計画は入れませんでした。 運動会  一応、幼稚部(幼稚園)から小学6年生まで合同なのでそれなりににぎわっていました。父兄のカメラマンも気合が入った人たちが多くて、大砲のような望遠レンズをつけて三脚、一脚のプロカメラマン顔負けの人が前をずらりと陣取ってそうそうたる物でした。  そういう自分も、少し長めのレンズをつけて、そういう方々の一列後ろからカメラマンの仲間入りをしていました。なかなかよい場所が取れずに写真は今ひとつでしたが、自分の息子の写真は何枚か取れました。暑くて日差しも強く、気温は30度を越える一日でちょとバテました。 (さくらんぼ) さくらんぼ狩り  翌日の日曜日は、何家族か誘い合わせてのさくらんぼ狩りに行ってきました。まだ始まったばかりで、木にはさくらんぼが山ほど実っていて、子供たちはつまみ食いをしながら大喜びでさくらんぼを取っていました。さすがに連休の中日という事もあって大盛況で、駐車場を見つけるのは少し出遅れると大変のようでした。少し早めに行って正解でした。   (さくらんぼ畑の端は、背の高くなったアザミが既に枯れ始めていました。) 陽気はすっかり真夏  この日も、気温はどんどん上がって、さらに内陸部のこの地はさらに暑く、この日も30度を越えていました。結構大量に持参した水ですが、帰る頃にはすっかりなくなっていました。 (とうもろこしはまだまだ背が低く。。。)  トウモロコシ畑も一面に広がっていましたが、こちらはまだまだ低くこれからというところでした。 (桃はもう少し!)  桃の畑は幾つかは赤く熟れはじめていて、あと1~2週間で桃狩りもできそうな感じでした。本当は、桃も取れるとの事でしたが、入った畑には桃の木はなくて、残念ながら今回はゲットできませんでした。  桃狩りのあとは、一緒に行った家族

山の回想録 -谷川岳(3)

沢登り (仙ノ倉谷 西ゼンの第2スラブ) 沢登り  日本独特の山登りの形態の一つに、「沢登り」があります。奥利根源流の時にも紹介しましたが、川を遡って山頂を目指すという登り方です。基本的には水の流れを忠実に辿って登って行きます。  時には通過が難しい滝や、ゴルジュ帯は迂回してそこを通過します。これを「高巻き」と呼んでいます。整備された登山道を巡る登山とはちがって、水の量の違いや状態によって登るルートを選ばないといけないので、ルートを読む力と、岩登りなどの技術、ロープを使った安全確保の技術など総合力が要求されます。このように書くと難しそうですが、「水遊び」ととらえれば楽しい登り方であることは疑う余地もなく、大好きな登山形態であります。  なんといっても、暑い夏に「涼しく」山を登れて、天然の「冷蔵庫」でビールを冷やして頂上で一杯やれる登山は何ともいえません。 (流れを辿って上を目指す) 谷川連峰の沢  先日書いた、一ノ倉沢をはじめとする岩登りが有名な谷川連峰ですが、群馬県と新潟県の県境に位置するこの山域は、多くの素晴らしい沢があります。山を本格的に登っていた時は、夏はもっぱらいろいろな沢に行きましたが、それでも谷川連峰の有名な沢ルートをカバーしたわけではありませんでした。  やはり、一ノ倉沢に比べると、沢を訪れる登山者はまだまだ少なく、静かな山登りを満喫出切るのが何よりもいいところです。特に雪に磨かれた綺麗な岩肌は、奥多摩や秩父の沢とはまた違った趣があって綺麗です。豪雪地帯の沢のため、雪が比較的遅くまで残って、登れる時期が限られていますが、それでも、夏のこの山の沢は格別です。 (登山道より変化に富んでいるので、飽きないし疲れも余り感じません!) 大きな谷  比較的長くて、大きな沢がいくつも存在します。しかしながら、登っていた時期は体力も有り余っていたので、駆け抜けるように沢を登って日帰りで帰って来たので、長い沢の帰りは本当に疲れて喉が渇いたのを覚えています。  湯檜曽川の本谷、赤谷川の本谷、万太郎谷などは、本当に素晴らしい沢で、年を取った今でも、チャンスがあれば沢で一泊して登ってみたいです。さすがに、今の体力では日帰りは難しいと思いますが、一泊すればまだまだ登れると思います。  さて、回想録ということなので、一つ思い出に残る失敗談を書いておきます。  大きな谷という事で

山の回想録 -谷川岳(2)

ロッククライミング (一ノ倉沢 南稜フランケダイレクトルート) 日本三大岩場  どうも、日本は三大XXというのが多く、この谷川岳にも剣岳や穂高岳に並びこの、三大岩場の一つと数えられています。中でも一ノ倉沢は、余りにも有名で他の三大岩場の山域と違って、以前は車で出合まで気軽に行くことができたため(最近の事情は余り良く分かりませんが。。。)、観光名所の一つとして多くの一般の方が岩壁を間近に見ることができました。(今でも多分気軽に行けると思います。)  谷川岳には他にも、幽ノ沢にも大きな壁があって、登攀の対象にされますが、一ノ倉沢に比べると訪れる人は格段に少なく、ルートも不明瞭な所が多いと思います。マチガ沢もある意味登攀の対象なのでしょうが、沢登りの様な要素が強いようで、私は実際に登攀したことはありませんでした。  前回書きましたが、「魔の山」の異名の通り事故も多く、こうした一ノ倉岳の東面の沢や、谷川岳南面の沢は、群馬県の条例で危険地区に指定されていて、登山届けを出さないと入山できない様になっています。一般の人は事前に登山届けを提出して許可を取らないと入山できません。  指定の山岳団体の会員は所属団体の会長の許可で当日届けを出すだけで入山できる仕組みになっています。 (一ノ倉沢 南稜フランケダイレクトルートを登る、右側に見えるのは変形チムニー) 一ノ倉沢  やはり、一番多く通ったのは一ノ倉沢で、一番最初に登った大きな岩登りのルートも一ノ倉沢でした。岩登りは危険が伴うのと、ある程度基本的な技術が必要なため、通常はいきなり大きなルートに行くのではなく、いわゆる「ゲレンデ」と呼ばれる小さな岩場で、基本的な訓練をして、大きなルートに望むのが一般的です。「ゲレンデ」は、群馬県にある榛名山の黒岩などによく行って練習しました。  ある年、仲間が穂高の滝谷に入るという事で、その練習につきあって、学生時代の夏休みに連日ゲレンデに通って、練習した事である程度登れるようになりました。本番の穂高には参加しませんでしたが、直前の練習として、埼玉県にある二子山という石灰岩の山に行って始めて長いルートを登りました。その翌年、たまたま先輩に誘われて一ノ倉デビューを飾ったのでした。  その時は人気の高い烏帽子沢奥壁の中央カンテを登って、そのまま南稜を下降して、再び南稜を登ってそのまま、一ノ倉尾根をたどって

Pleasanton Ridge Regional Park (2010年5月22日)

季節の移り変わり (アザミが咲き乱れる公園) 3週間の間に。。。  前回トレーニングがてら、この公園に行ったのが5月1日でした。3週間後の土曜日、今度は娘を連れて散歩に出かけてきましたが、公園の花は一変して、アザミやリンドウの仲間と思われる紫の花に取って代っていました。この前みられた、小さな白や、黄色の花はすっかり終わっていて、蓮華は相変わらずハイキングコースの至る所に咲いている事だけが前回と変わらない風景でした。  そして、緑のジュウタンのようだった山並みは、やや茶色がかって、まだ、緑が残るものの早くも夏の訪れを感じました。  この春から夏への移り変わりは毎年の事ながら、カリフォルニア北部の内陸部独特の気候です。 (紫の花、リンドウの仲間だと思いますが、名前が分かりません)  今年は、まだ、天気が不安定でこの日も天気予報では一時雨の予報でしたが、雲は多いものの一応晴れでしたが、5月に入っても時折雨の日がまだ何日かありました。例年だと、天気も安定して、雨の日はまず無いのですが、今年は何かおかしな天気の流れです。  この日も、一応綺麗に晴れ上がった物の、雲が多く、稜線に出ると風がとても強く、抑えていないと野球帽が吹き飛ばされて脱げてしまうほどでした。ちょっと油断して半袖シャツで出かけて上着を持っていかなかったのでちょっと肌寒い感じでした。娘は長袖のシャツだったので一応大丈夫のようでした。 空のキャンバス  この強風の影響で、空に広がる雲が強風に流されて、独特の模様を描いていました。何枚も空の写真を撮りましたが、上の写真が独特の模様のような気がしたので1枚だけピックしてみました。  この公園からは、先日紹介したSunolの山々を遠く望む事ができます。それとなく、山々が茶色っぽくなってきたのが分かると思います。寒いので一番奥のピークまでいって、休まずにそのまま下りてきました。今回は娘を連れてのため、登りで約1時間20分、下りは1時間でした。幼い娘は意外に良く歩いて、これは、子連れとしてはとても早い時間でした。一緒に登り始めた同じくらいの子連れの家族ははるか後ろにいました。我が娘ながら、びっくりでした。 (おわり)

遠足 (2010年5月20日)

オークランド Asの試合 (一塁側の内野席から球場を撮影) 遠足は野球の試合  今日は、息子の学校の遠足(フィールド・トリップ)に付き添って、オークランドまでAsの試合を見に行きました。お昼からのデーゲームなので、会社も休みを取っての1日でした。本当に久しぶりの野球の観戦で、その前は確か4年くらい前だったような気がします。その時は、ジャイアンツとAsの交流戦で、確かボンズがハンク・アーロンの記録を破るホームランを打った試合だったと思います。 As対タイガース  試合は、Asとタイガースでした、Asもですが、両チーム共に最近はさえない成績で、スタンドもまばらでした。それでも、今日は息子の学校以外でも他にも多くの学校が試合を見に来ていてそれなりに賑わっていました。何か特別な割引があるのかよく分かりませんが、一塁側の内野席でそこそこいい場所でしたが、一人6ドルでした。  遠足のシステムもいろいろで、親が同伴する場合は事前にペーパーワークを済ませれば、そのまま球場に残って最後まで試合を見ることができます。それ以外は、通常の学校の終わりの時間に合わせて、先生たちは試合の中盤で帰って行きました。  私たちは、最後まで試合を観戦して戻りましたが、Asは弱小同士の試合にも敗れて、ちょっと残念でした。 (おわり)

山の回想録 -谷川岳(1)

魔の山 (幽ノ沢 中央壁) 谷川岳  やはり、谷川岳について少し書いてみようかと思います。谷川連峰という事でこの山域をとらえれば、おそらく一番多くの回数を登った山だと思います。関東に住んでいましたので、やはり近場の良き山の一つで、四季を通じて楽しませてもらった山の様な気がします。  積雪期は冬の合宿のトレーニングとして通いましたし、春は山スキー、夏から秋にかけては沢登りと年間を通して多様な登り方をした山でした。アプローチも非常に便利で、車を停めて、そこからすぐに山に入れて、下りてくれば周りに点在する温泉で汗を流して、疲れを癒してくれる素晴らしいところでした。 魔の山  よく、谷川岳を「魔の山」と呼びます。それは、上越線の開通以来、世界でも類を見ないくらい遭難者をだしているので、こうした異名が付けられたわけです。Wikipediaで調べてみたところ、1931年から2005年の間で、781人の人がこの山で命を落としているようです。それによれば、エベレストでの死者は178人という事で、はるかに多くの人が亡くなっていることになります。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/谷川岳、2010年5月20日の解説より引用)  特に谷川岳、双耳峰でトマの耳とオキの耳の隣にそびえる一ノ倉岳から伸びる急峻な沢、一ノ倉沢と幽ノ沢は岩登りの対象としては余りに有名で、岩登り中の事故も大きな要因の一つだと思います。あとは、天候も変わりやすく特に、冬場は日本有数の豪雪地帯の山という事も一因だと思います。 西黒尾根  谷川岳に登る一般ルートといえば、ロープウエイを経由しての天神尾根が恐らく一番容易なルートだと思います。私の場合は天神尾根経由で谷川岳に登ったのは1回だけで、あとは雪上訓練などで天神平に何回か行ったくらいで印象が薄いです。それよりは、やはりポピュラーなルートである西黒尾根の方が印象が強いです。始めて谷川岳に登ったのは、西黒尾根に派生する登山道の巌剛新道からでした。その時は、夏の合宿の訓練でザックに大量の石を詰めての歩荷(ボッカ)訓練で恐らく30kg~35kgくらいの荷物を持って、4~5時間かけて登ったと思います。  その後、特に冬場は合宿の前は毎週のようにトレーニングのために登っているので、西黒尾根に行った回数はちょっとわかりません。夏でこそ一般ルートで冬でも多く

Mt.Shasta (その3) -高度障害

動脈血酸素飽和度(SPO2) (パルスオキシメータ、ブログを書いているときのデータ) 次はMt.Shasta!  無事、Bay to Breakersも終わって次はいよいよ、Mt.Shastaへの挑戦になります。予定は、6月5~6日を予定しています。以前にも書きましたが、懸念材料は天気と高度障害です。  高さは4,300m強、順化できない高度ではありませんが、週末だけの速攻登山となると、富士山の登山でも多少なりとも自覚症状は出るので、おそらくある程度の影響はあると予想されます。 パルスオキシメーター  今回は、秋のMt.Whitneyの登山も控えているので、少しデータを取ってみようと思い、パルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度(SPO2)を計って自覚症状との変化を調べて見る事にしました。これは、ヒマラヤへのトレッキングや高峰の登山隊でも試みられている事で、ある程度の目安にはなるようです。ここ数週間、安静時や運動中、運動後のデータを取ってみましたが、概ね95%以上は維持できているようなので、高度を上げる過程で測定すれば、ある程度の体の影響を知る目安になると思います。  今回は、特に順化のためのトレーニング等は行わず、当日の早朝約、2,300mの登山口に入って、山中1泊で登山を予定しています。宿泊予定地は、約3,400mになりますので、到着直後、睡眠直前、起床直後と測定して、その変化と自覚症状を調べようと思います。  そして、次回のMt.Whitneyの登山に役立てようと考えています。 トレーニング  2月より、今回のロードレースもあって、ジョギングなどの有酸素運動を主体にしたトレーニングを平日続けてきましたが、そろそろ体も慣れて来た事もあるので、さらに心肺機能などの強化も念頭において、インターバルなどのトレーニングも次の2~3週間は週に1~2回程度取り入れて行こうと思います。期間が短いので、最大酸素摂取量などの大きな改善は望めないとしても今後の登山も考慮すれば、こうしたトレーニングは効果があるように思われます。実際のところ、こうした運動能力と高度順化にははっきりとした因果関係は証明されていないようですが、効率的に酸素を体に循環させる事は、少なくても、体に対して助けになると思うので、この先も継続して、今年はだめでも、来年以降の機会に備えたいと思っています。    具体的

Bay to breakers (2010年5月16日)

サンフランシスコのイベント (スタート前の風景) 町をあげてのイベント  今日は、兼ねてから予定していた12kmのレースの日でした。サンフランシスコ町をあげてのイベントは、初めての参加で、ロードレース自体、十数年ぶりの出場でした。この10年余り特に運動らしい運動もせずになまり切った体を、2月位から徐々に慣らして何とか少しは戻ってきた感じでした。この2週間くらい肉離れや足首を痛めましたが、何とか朝の運動を中止して回復に努めて痛みも引いたところでの大会当日でした。  今日は、一緒に出場する家族の好意に甘えて、車に同乗させて頂いてスタート地点に向かいました。今年はやや天候不順で、もう5月中旬になりますが、今朝も肌寒い天気で上着を着て走るか迷いましたが、上着を脱いで走ることにしました。  スタートは、参加するランナーやそれを見る人たちでものすごい人出で、仮装して走る人も多く、ある意味ハロウィンのような感じでした。中には全裸の人もいて、話には聞いていたもののこの肌寒い天候でも、かなり多くの全裸の人がいてびっくりでした。  当初はカメラを持って走る予定でしたが、雨が降り出しそうな事もあって、カメラと上着は車に置かせてもらうことにしました。 レース  スタート地点で寒い中30分強待ちました、寒いので足踏みなどしながら時間が来るのをまちました。ビーチボールやトルティアが飛び交っていましたが、何故なのかはちょっと分かりませんでした。  午前8時にスタートとなりましたが、この大人数の参加者のため、自分たちの位置からスタート地点まではさらに30分位のところで、実際に集団が動き出すまでは10分弱かかりました。  なんとか、スタート地点までたどり着いて、走り始めたのがスタート後30分後位で、おそらく、トップグループは既にゴールに入るであろう時間でした。  一緒に参加した他の知人はすっかり早く走るのかと思っていたのですが、私に合わせてくれたのかジョギングペースで終始付き合ってくれました。実際、中々ペースを上げて走るのは、人が多すぎて大変だったとは思いますが、感謝でした。  途中に給水所や、多くの観客もいて、ロードレースというよりは本当にお祭りで、多少不安があったものの何とか完走、1時間15分20秒位のタイムでした。本当にジョギングでマイルあたり平均10分といった本当にジョギングペースで、話をし

山の回想録 -尾瀬

冬の尾瀬 (悪沢岳手前より至仏山を望む) 尾瀬  尾瀬は一般の方々にも良く知られた山域で、むしろ山というより観光地というイメージでとらえられているような気がします。しかし、ここは、至仏山、燧ケ岳など大きな山を擁する山域です。  春の水芭蕉、夏のニッコウキスゲなどは有名で、よくテレビや雑誌に紹介されていますが、やはり思い出に残るのは積雪期の尾瀬でが一番印象に残っています。 初めての尾瀬  それでも、初めての尾瀬は春で、まだ残雪の残る燧ケ岳を登ったのが初めての尾瀬でした。まだ、山を始めて間もない頃で、長英新道から登ってナッデクボから下山して尾瀬沼を回ってというごく一般的なコースでした。まだ、少し水芭蕉には早く、ようやく小さな花が咲き始めた頃でした。  それから、暫くは尾瀬に行く機会はありませんでしたが、前にも触れた山スキーが尾瀬を定期的に訪れるきっかけになりました。 積雪期の尾瀬  積雪期以外では、車またはバスでアプローチは便利で多くの人が尾瀬を訪れて大変な人出のようですが、積雪期は豪雪のため、多くの道路は閉鎖されて、長大なアプローチになります。鳩待峠側の入山口も戸倉から約10km余りも歩いて入山する事になります。スキーを履いても1日仕事で、早朝に戸倉を出るとだいたい、午後に鳩待峠に入れる感じです。 (悪沢岳から至仏山に続く稜線から至仏山を望む)  積雪期の尾瀬は、静かなもので、その長いアプローチのためか、通常は訪れる人も少なく、学生が長い休みになる3月の中旬から下旬以外は、余り多くの人に会ったことはありません。せいぜい、他に1パーティ位という感じで静かで貸切という感じで、山スキー好きにはたまらない山域でした。  よくよく、考えてみると、好きな山は、静かな人気のない山なのかもしれません。 (尾瀬ヶ原の向こうに燧ケ岳を見ながらの至仏山の大斜面の滑降) 山スキー  その深い雪と、なだらかな山は、山スキーには格好の斜面で、特に至仏山の木の無い大斜面はたまらないものでした。そんなわけで、大変とはいえ、ある時期は年中行事の一つとしてほぼ毎年訪れていました。 秘密のねぐら  雪が豊富なので、雪洞を掘るには最適で特にテントを持たなくても大丈夫ですが、実は鳩待峠の小屋の屋根の軒下は格好の宿泊場所でした。屋根の軒なので雪が空洞になっていて、外から少し雪を崩して整地すれば短時間で格好のねぐ

山の回想録 -利根川源流

利根川源流 (利根川ひとまたぎ、源頭部を除いて利根川をまたげるのはここだけです) 利根川  かなりの人が「利根川」については、ご存知かと思います。日本では信濃川に次いで2番目に長い川になります。しかし、その源については、意外に知っている方が少ないのではと思います。その源頭は、群馬県と新潟県の県境に位置する大水上山という所にあります。  剣岳に続いて思い出に残る「山登り」という事で、今回取り上げるのがその利根川をめぐる山登りです。 利根川源流  利根川が登山の対象となることを知るきっかけが、先輩たちが出した利根川源流遡行の計画書でした。当時の私は、利根川こそ知っていたものの、源流をめぐる登山がどのようなものか全く想像もつきませんでした。話を聞いていて、「難しい所なんだ」と思ったのが一番初めの印象でした。  それから何年かして、沢登りも始めてある程度の経験をつんだところで、利根川源流域の沢にも入ってみようかという事になりました。 水長沢   その時は 、 利根川の源流をめぐるのがどれくらい難しいか分かっていましたので、いきなり本流に行くのはちょっと無謀ということで、中でも比較的易しいとされる水長沢が目標となりました。八月に目標を定めて、6月ぐらいから上越の沢を中心にトレーニングを積んで望みました。  水長沢は日本百名山の一つに数えられる平ケ岳から流れ落ちる利根川の支流の一つで、利根川の一番奥にある矢木沢ダムのダム湖の一番奥に流れ込む沢です。その前後、関東地方は雪の少ない年が続き水不足が一つのニュースの話題でした。連日、ダムの貯水量が少ないと言ってはこの矢木沢ダムがテレビに登場したものです。  その水長沢に入るには矢木沢ダムの湖岸道をたどって水長沢出合に行く必要がありました。コネがあれば、ダム湖を船でアプローチする方法もあるのですが、その時はコネのない自分たちは「陸路」によるアプローチを取る事になりました。この湖岸道はダムの工事の際に使われたものらしいのですが、工事から時間のたった現在では荒れ果てて廃道同然になっており、道の跡は辛うじて分かるものの木々が多い茂り、道というよりは藪というのが適切な状態になっていました。  それでも、ダムに近いあたりはまだ歩きやすく、話に聞いた程ではないと歩き始めたのでした。歩くこと数時間、かなり歩いたつもりが振り返るとダムがまだ目と鼻の先に

授業参観 (2010年5月8日)

校内散策 (暈が出ていました、ラッセンの時と同じ構図で!) 授業参観日  今週の土曜日は、日本語の補習校の授業参観日でした。  いつもの週は妻が息子を連れて行くことが多いので、娘と家で留守番する事が多いのですが、今週は家族で学校に向かいました。途中の高速道路で大きな事故があったらしく、大きな渋滞が起きていて少しばかり遅刻してしまいました。  授業参観は2時限目の授業ということで、まだ時間があるということで校内をみんなで散歩することになりました。 季節は夏へ。。。  つい最近まで雨が多く、なかなか春らしい天気にならないと思っていたのもつかの間、季節は春を通り越して夏の様相です。緑だった山々もやや茶色みを帯びてきて空の青さも真っ青で雲ひとつ無いような天気でした。 (すっかり夏空!) 暈 暈が出ていて、その脇を飛行機が飛んでいきました。これはと思い、あわててカメラを取り出して撮影しました。何となく幾何学模様を真っ青な空に描いている感じでした。 授業参観の前のつかの間の散策でしたが、いつも室内でデスクワークをしているのに比べれば、季節を感じる事のできた貴重な時間でした。 来週は、いよいよ12Kmのレースです。足の調子が今ひとつですが、何とか出場、完走を目指します。 (おわり)

山の回想録 -剣岳(5) 総括

総括編 (源治郎尾根II峰の向こうに元日のご来光を望む~剣岳頂上直下の登りより) その他のルート  さて、長々と剣岳の登山を振り返ってきましたが、他にも源治郎尾根と赤谷尾根から冬に登っています。しかしながら、源治郎尾根は大変でしたが、八ツ峰のそれと比べると印象は薄いです。強いて挙げれば、I峰の登りでいいテント場までたどり着けず、急斜面に雪洞を掘って一晩を凌いだ事くらいで後は意外に順調に登れたという印象が強いです。  赤谷尾根は長大な剣の北方稜線の一つですが、この年は異例の好天候に恵まれて5月のような感じで登ることができて、冬の剣の厳しさを感じることなく登ってしまっただけに印象が薄いのかもしれません。  別山尾根は夏の一般ルートですが、このルートだけは積雪期、残雪期には一度も行く機会がありませんでした。このルートも5月はアルペンルートからの入山で比較的簡単に入れますが、冬は入山が大変なルートであり、所属していた山岳会も約10年間通って大日岳経由のルートで登ったそうです。その間、有名な56豪雪などがあったりで話を冬山のテントの中では幾度となく話題になったルートですが、その苦労のあとのメンバーなので、夏、晩秋に登っただけになっています。  あとは、夏は剣尾根なども登りましたが、冬は入山禁止区域ということで、登る機会はありませんでした。  また、機会があれば、取り上げてみたいと思いますが、そろそろ別の山についても書いてみようということで剣岳編は今回てひとまず総括しようかと思います。 剣の豪雪 (豪雪の中の撤退~内蔵助平)  剣岳山域の豪雪は言わずとしれた事ですが、凄いものがあります。一度大雪になれば、場所によっては1mを越える積雪になることは珍しい事ではなく、ルートによらず奥深く入り込んでいる場合閉じ込められる危険は常にあるといえます。そんなことが、悪天の中「突っ込んで」登ることの一つの迷いを生むんだと思います。  八ツ峰での仲間の話は触れましたが、自分たちの中ではある年の源治郎尾根に向かう途中に大雪に見舞われて大変な思いをしました。山に入って2日目、ハシゴ谷乗越を目指して内蔵助平に出た所の平らな雪の上にテントを立てましたが、その日の夜から大雪になり1時間おきに、夜中に除雪を強いられました。外に出て雪かきをするのですが、1時間経ってテントの周りを1週する頃には、テントに既に

山の回想録 -剣岳(4) 早月尾根

救助活動 (剣岳本峰をバックに、八ツ峰I峰頂上にて) 早月尾根  剣岳の西面に伸びる長大な尾根で、山岳警備隊の常駐する馬場島からの入山になるため、アプローチが他のルートに比べると短くなっています。そのため、冬には最も多くの登山者を迎えるルートで、積雪期の入門ルートとされています。それでも、2600mより上部は急な雪壁や、谷に切れ落ちた部分の通過など、気を抜けずそれなりに困難なルートであると言えます。  とはいったものの、年末年始や、ゴールデンウイークなどは多くの登山者が入山するため、トレースを辿って比較的簡単に登れてしまう事が多いようです。 私の早月尾根  そんな感じのルートですが、私にとっての早月尾根はちょっと違います。実際、剣に一年を通して結構通っていましたが、この尾根からの剣岳の登頂は、結果的に一度もありませんでした。というのも、所属していた山岳会の合宿で早月尾根を登る機会が一度もなかったのです。従って、殆どの場合、他のルートから剣岳の本峰に登頂して、その下山ルートとして早月尾根を下降したのが、この尾根を辿った殆どの経験でした。  別のルートから登っているので、早月尾根の下降は未知数で、登山者が多くてトレースが入っていれば、比較的、楽に短時間で下る事ができましたが、悪天やある時期を逃すと、トレースは雪に埋もれて消えてしまい。ルートを探しながらの下降で結構苦労した思い出もあります。特に悪天時は視界も悪いので間違えて支稜に入ってしまったりした事もありました。そんな経験もある為か、あまり「簡単」という印象はあまり残っていませんでした。 救助活動  そんな中で、1つだけ貴重な経験がありました。以前の回想録で書いたと思いますが、ある年の冬、小窓尾根から途中下山して帰宅した後、仲間の救助要請のニュースを聞いて、富山に戻った事がありました。当然、エキスパートの彼らが身動きを取れなくなっているわけで、簡単に現場に行けるはずもなかったのですが、強い冬型の気圧配置が続いて天気の回復が見込めず、ヘリによる救出が難しい場合に備えて、西面から剣岳の本峰を目指して、アマチュア無線による連絡ルートの確保もかねて早月から登る事になったのでした。 とんぼ返り  確か、下山した翌日にニュースを見て人を集めてその日のうちに車に分乗して伊折に入りました。取り合えずかき集めた装備、食料を各自に分担して

山の回想録 -剣岳(3) 八ツ峰-7(終)

冬の八ツ峰 (I峰頂上から八ツ峰主稜を望む~真っ白な雪稜が続いています) 念願の冬の八ツ峰完登  この年の冬は、長年の課題だった冬の八ツ峰を完登する事ができました。12月26日に入山して、1月3日に下山するまで9日間での踏破でした。  入山前は寒波が来てまとまった雪が里にも降って行きの電車が遅れて信濃大町の駅で約半日足止めされての入山でした。山の中でも晴天の日を挟んで天気が崩れ、深雪のラッセルを強いられるました。それなりに厳しい条件での登山でしたが、過去の八ツ峰の経験と、途中のハシゴ谷乗越に荷揚げした食料と燃料にも助けられて何とか登る事ができました。 (I峰からI-IIのコルへの下降、春に比べて雪が少なくロープを張って慎重に下降) 主な行動概要 : 1日目:扇沢に向かう道の冬ゲートから関電トンネルを経て黒四ダムまで (雪から晴れ) 2日目:黒四ダムから内蔵助平 (小雪) 3日目:内蔵助平~ハシゴ谷乗越~I峰III稜に取り付いて幕営(雪) 4日目:I峰III稜下部からP4頂上まで(吹雪) 5日目:P4からI峰頂上(吹雪) 6日目:I峰頂上~V-VIのコル(曇り時々晴れ) 7日目:V-VIのコル~VI-VIIのコル(吹雪) 8日目:VI-VIIのコル~剣岳本峰~早月小屋(晴れ) 9日目:早月小屋~馬場島~伊折(曇り)  この山は終始、自分たちのパーティだけで剣岳本峰までの登攀でした。本峰から早月尾根の下降は早月尾根から頂上に上ったパーティのトレースが入っていて助けられました。 (III峰の頂上で) 今回の登山  どうしても登るという強い思いもあって、メンバーの一人が秋に燃料と食料をハシゴ谷乗越に荷揚げしました。多くのパーティが荷揚げなしで八ツ峰に登っているのも事実で、いろいろ議論もあるかと思いますが、今回はアプローチの荷物の軽減と、悪天に向き合うためにも荷揚げをしました。精神的には結構助けられた部分は多かったと思います。 過去の経験  5月も冬も剣に通って、持って行く物もだんだん厳選されて、荷物も必要最小に近づいてきたのも助けになったような気がします。そうは言ってもまだまだ余計な物も持っていたと思いますが、装備に対する不安は少なかったように思います。例えば、寒さに対する不安とかは、余りなかったと思います。 (VII峰の頂上付近、ナイフエッジも大量の新雪で溝の様でした)

山の回想録 -剣岳(3) 八ツ峰-6

久々の完登 (八ツ峰主稜 VI峰へのナイフエッジを登る) 年中行事   この頃の5月連休と言えば、八ツ峰に行くのが一種の年中行事のようになっていて、ほぼ毎年通っていました。この年はとても充実したゴールデンウイークで、前半は、白馬岳の主稜を登って、後半は別のメンバーと合流して、どちらとも成功した年でした。  両方の登攀の間の数日は天気がやや崩れましたが幸いにもその期間が休養日で山にいなかったので美味しい所取りの山行でした。 絶好の撮影日和  中々、これだけ綺麗に写真を取れる機会がなっかった中、天気にも恵まれた事と、ルート工作をして後続を待つ間幾つかすばらしいカットを撮影する事ができました。上の写真はVI峰を下ってVII峰に向かう細い尾根をVI峰のすぐ手前から取っています。両側がスッパリ切れたナイフエッジでこれだけ安定した雪の状態だと非常に快適な雪稜歩きです。  同じ人がロープを固定している自分の近くまで来た時のカットです。その後も後続のパーティが続き春ならではの光景です。尾根は本当に自分の足跡がつくだけの細さでした。 貴重な自分の写真!  いつもは撮影係に終始している自分で中々自分の登る様子の写真がないのですが、この時はパーティの別のメンバーが自分の登る様子を取ってくれたので、今回は多めに写真を貼り付けています。 上の写真はVI峰頂上直下の固定ロープを登っている所です。春の遅い時期には珍しく、途中で天気が崩れたため、新雪が積もって足跡のないところを登る事ができました。 ここでトップを変わってロープを引きながらVI峰を登っているところです。VI峰の側壁はA・B・C・Dといわれる4つのフェースからなっていて小ピークを連ねています。V-VIのコルからは少し大きな登りになっていて、ロープを数ピッチ伸ばしました。最初に上半を登ったときは綺麗に先行パーティのスッテップが残っていて階段でしたが、今回は自分たちでトレースをつけました。 雪が安定しているとは言え、尾根は細くしまった硬い雪の上に湿った新雪が乗った状態なのでほぼ、ロープをつけたまま上部に向かってロープを伸ばします。このあたりの尾根は細いナイフエッジが続きロープが延びきると尾根を崩して広い足場を作ってから、雪の中に後続確保のための支点を作ってロープを固定して後続を待ちます。中間の人は固定ロープを使って登ってくるのでその間が撮