剣岳(3) 八ツ峰-1
八ツ峰主稜
八ツ峰は剣岳の東面に位置する長大な尾根で、その稜線上には多数のピークを連ねてそこから派生する支稜も含めると相当数のルートが存在します。夏はVI峰の長治郎谷側のフェースが岩登りの対象になって多くのクライマーを迎えています。
反面、冬は完全に下界とは孤立された場所にあるために、登る人はあまり多くありません。春は黒部立山アルペンルートのおかげで、室堂や、黒部ダムからのアプローチが可能になるために多くのパーティが登ります。しかしながら、雪の状態によっては春でも厳しい登攀が強いられ、それなりに足並みと登山技術がそろったパーティでないと登るのは難しいルートです。
初めての冬の剣岳への挑戦
さて、最初は剣岳の近くへ、そして前回は初めて剣岳に登ったということで書いてきましたが、これが最初の冬の剣の挑戦でした。結局、その最初の挑戦は成功せずに、その後幾度となくこの八ツ峰へと通う事になりました。ある意味因縁のルートであるともいえると思います。それだけに、多くの思い出が残っているので何回かに分けて書こうかと思っています。
いざ剣へ!
所属していた山岳会はそれなりに力のある山岳会で、冬の剣岳にもいろいろなルートからの登頂を過去に成功させていました。八ツ峰はその中で数少ない登られていない尾根ルートでした。そんなわけから計画が持ち上がるのは当然の流れで、まだまだ、初心者の私も何故かメンバーとして数えられていました。
当時の私はまだ、「冬の八ツ峰」の意味がわかっていなくて、言われるがままに行くことになってしまったのでした。
入山
クリスマス前後だったと思いますが、電車で信濃大町に向かいそこからタクシーで山に入りました。春は扇沢まで通じている道はかなり手前でゲートが閉ざされ、2~3時間扇沢まで歩かなければなりませんでした。当時はまだ、関西電力のトンネル(夏のトローリーバスのルート)がまだ開放されていて、車にこそ乗せてはもらえませんが中を歩いて後立山連峰の裏側に抜けることができました。現在は確か安全上の理由やら何やらで冬季は一般には閉鎖されて中を歩くことはできないようで、剣岳の東面に入るには、後立山連峰を登って越えて入山するが、西側(富山県側)からは、剣岳を越えて入るしか手段がないので、一段と登るのが難しくなっているようです。
後立山を越えるだけでも、相当困難な登山になるので、それに加えてさらに剣岳に登るということになると、かなりの精神力と体力が要求されることになります。それでも、当時でもそれを実践するパーティも数は少ないですがいました。
私たちは、トンネルの恩恵を預かってアプローチをしました。プラスチックの冬山用の登山靴で舗装されたトンネルを歩くのは結構辛いもので、ゲートから扇沢に加えてさらに、2~3時間は暗いトンネルを重荷を背負って歩かないといけませんでした。
トンネル泊
いくらトンネルを利用しても黒部ダムまでは一日仕事でした。実際後立山を越えるには数日かかるのを考えると楽ですがそれでも20~30kgはあるであろう荷物を背負っての舗装道路の行動はこたえました。装備が濡れないように、その日はトンネル内、夏のトローリーバスの黒部湖の駅の近くにテントを張ってトンネルの出口を偵察しました。トンネルは迷路のようで幾つか出口がありましたが、どの出口をでたらいいかは、良くわかりませんでした。何とかあたりをつけて翌日に備えました。
長いアプローチ
さて、トンネルを抜けると深い雪の世界が待っていました。トンネル内にいる間に天気は下り坂だった様で、前日の比較的よい天気に比べると、雪も降り始めて他にパーティもなく黒部川沿いのラッセルが始まりました。初心者ながら「すごい所に行く」という意気込みで頑張ってラッセルをしたのは昨日の事のようです。途中、内蔵助谷の出合から内蔵助谷に入って、丸山東壁の脇を抜けてハシゴ谷乗越を目指します。丸山東壁には幾つかの登山者がいて、見上げては「こんなところを冬に登る人が!」と驚いたものです。その日は途中でテントを張って翌日にハシゴ谷乗越に到達しました。
途中、丸山中央山稜に入るパーティには会いましたが剣を目指すパーティには会いませんでした。
ハシゴ谷乗越しで。。。
ハシゴ谷乗越しは風の通り道になっていて、冷たい風が吹き付けて今までのアプローチとは違って、冬山の厳しさを感じずにはいられませんでした。幸か不幸か、視界がきいて八ツ峰I峰が見えて上部の雪の急斜面がそびえ立っていました。池ノ谷ガリーと同じで対岸から見ているので余計に急斜面に見えて、容赦なく吹き付ける風で急に恐ろしくなって来ました。
まだ、時間が早かったので剣沢に下りることも出来たと思いますが、そんな自分の気持ちを察してなのかその日はハシゴ谷乗越から数メートル下がったところの雪の斜面を切ってテントを張りました。偵察がてらいろいろなところからI峰を見て登るところを目で追っては果たして登れるかの不安はどんどん大きくなるばかりでした。
そんな中後から追いついてきた二人組はここを下りると示しながら剣沢に下りていきました。そのパーティは源治郎尾根に行くと行っていました。
翌朝、出発という時になって、やっぱり怖くなって、情けないですが、お願いして引き返してもらうことになりました。言うまでもなく、今まで来た所を戻るわけで、ダムを経てトンネルを歩いて扇沢の駅を通り、冬ゲートを抜けて、さらにタクシーを呼ぶためには大町温泉郷のホテルまで歩かなければなりませんでした。すでにトレースは入っているものの登らずに戻るときはやはり気合も入らず、無口のまま途中ダムで1泊して下山したのでした。
こうして剣への最初の冬の挑戦は残念ながら、自分の技術不足と経験不足から来る不安で敗退に終わりました。このときは他のメンバーに非常に申し訳ないことをしたなと思いました。それがある意味きっかけになって、このあと幾度と無く八ツ峰にかかわっていくことになりました。
今日のところはこのくらいにしてまた後日続きを書きます。
(つづく)
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