剣岳(2) 小窓尾根
小窓尾根小窓尾根は剣岳西面に位置する主要な尾根の一つです。冬季においても、アプローチが比較的容易な西面で、富山県警の山岳警備隊が詰めている馬場島から入山します。基本的には伊折の集落から歩くことになりますが、状態によってはもう少し奥まで車で入れることもありました。馬場島まではラッセルが無ければ2~3時間です。
小窓尾根は急峻な尾根で隣の早月尾根に比べれば短いですが、途中に、ニードル、ドーム、マッチ箱、小窓の頭などのピークを要し、ロープを使っての登攀を要求されるルートです。
初めての剣岳を登ったルート
回顧録ということで、この小窓尾根は私が始めて剣岳に登ったルートとして印象に残っています。初めて要ったのは5月でした。まだ、雪山を始めて間もない頃で、先輩に連れられて登ってしまったというのが正直な感想でした。
5月なので馬場島まで車で入れてそのまま、白萩川沿いの道をあるいて、途中ダムの取り入れ口で靴を脱いで渡渉してとても冷たかったのを今でも覚えています。そのあと、岩場をトラバースして行く部分が渋滞していたので、少し戻って赤谷尾根側の斜面を少し登って途中から再び白萩川の方に下りて取り付を目指しました。途中に雷岩と言われる大きな岩があってそのあたりから小窓尾根の側面の斜面を登って取り付きました。この年はやや雪が少なく下部は藪こぎのような感じでしたが、上に行くに連れて雪がしっかりしてきて歩くのも楽になった気がしました。尾根に出ると広い樹林の登りになって、やがて少し開けたところが1600mの台地になります。このときはさらに斜面を登って1900m地点まで行ったと思います。このあたりも広くなっていますが、白萩川側に大きな雪庇が出ているので注意が必要です。過去に同じ山岳会の人が雪庇を踏み抜いて亡くなっています。翌日は天気が悪くてテントで沈殿したのですが、今から考えれば十分行動できる天気でしたが当時はほっとしたのを覚えています。
ここより上部が尾根の核心部で、ニードルはロープを使ってトラバースして、さらにロープを使って下降しました。ドームへは木につかまりながらの急斜面の登りで頂上は広くなっていて、テントも張れます。そのあとがマッチ箱ですが、ここは通常は右側からやや巻き気味に上りました。状態が悪いとロープが必要な急な登りです。その後は岩稜が続き、マッチ箱の先は小窓の頭まで細い雪稜が続きます。
小窓の頭を越えるとあとは、小窓王の基部をトラバースすると三ノ窓に出ます。
山に興味のない方には退屈なルート説明ですが、こんな感じのルートです。
窓
剣岳には窓がつく場所が幾つかあります。有名なのは大窓、小窓、三ノ窓です。これは富山平野の方から剣岳連峰を見ると左の方から大きな「ギャップ」というか大きく落ち込んでいる部分が3つ見えるのですが、この大きなギャップを「窓」と呼んでいます。
さて、三ノ窓はその一番剣岳の本峰に近いところなのですが、ここから頂上稜線に登る細い窪みの部分を池ノ谷ガリーと呼んで、池ノ谷乗越に出るのですが、小窓の頭からはちょうど池ノ谷を挟んで対岸に見えるので非常に急に見えます。当時の私には「えっ!あんなところ登るの!?」と思いました。
その日は三ノ窓泊まりで、登ったのは翌日でしたが、行ってみると見た目ほど急には感じませんでした。そして、剣岳の頂上を経由して早月尾根を下降しました。
こうして、初めての剣岳登頂がなされたわけですが、あまりに今までの山とスケールも難易度も違っていて夢中で登っているうちに終わったという感じでした。
その後。。。
5月に登ったあと、冬(正月)に3回ほど小窓尾根に行きました。
最初の挑戦は、途中テントの中でお湯をこぼして火傷をした人が出たためやむなく1900m付近より途中下山。あとで、書きますがこの後、別のエピソードもありました。結果的には突っ込んで登らなくて良かったという物でした。
2回目の挑戦で、正月に小窓尾根から剣岳に登頂しました。このときは途中天気が崩れて、しかも上部の雪の状態が悪く完全に氷化して硬くなっていて、非常に緊張しながら、池ノ谷ガリーを登って、頂上からの下降もその悪条件に加えて視界も悪く何回はルートを外して、早月尾根の獅子頭を過ぎるまでは、緊張の連続でした。
その後、別の親しくしていた山岳会のパーティに入れてもらって、行きましたが、自分の体調も良くなかった事に加えて翌日から天気が崩れるとの予報だったため、マッチ箱のすぐ手前を最高到達点として途中下山しました。
実は私たちのパーティが、マッチ箱を登っていた時間帯に隣の早月尾根を登っていた東京の山岳会が雪崩に巻き込まれて何人かが亡くなる事故があったようでした。
さてさて、この小窓尾根、最初に剣岳の登ったルートであり、しかも、最初に登った剣岳の冬のルートでもありました。3回目の挑戦で一緒に行った他の2名は数年後、ヒマラヤで亡くなってこれが最後に行った山行で、そんな意味からもある意味、強く印象に残っているルートの一つです。
(つづく)
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