昔の登山道具
今年は、シャスタに登りたいという事になって、一応それなりの登山道具が必要になりました。さいわい、昔の道具が日本の実家にそのまま残っていたので、頼んでこちらに送ってもらいました。昨日その荷物が届きました。その中に、ピッケル2本とバックパックもありました。
見ていたら懐かしくなって、時間を見ながら昔の山の回想録でも書いてみようかという事になりました。
一番印象に残っている山
いろいろな山に行きましたが、中でも一番印象に残っている山と言えば、剣岳か谷川岳ということになると思います。どちらかといえば、やはり「剣」ということになるので、まずは剣岳のエピソードについて書いてみようかと思います。
山スキー
雪山に入っていくきっかけといえば、山スキーでした。登山もそれなりに行っていたし、普通のスキーもそれなりに行っていましたが、山スキーを始めたのは山もスキーも始めてしばらくしてからでした。
最初は、春の尾瀬(至仏山)にスキーに行くということになって、まずは道具を揃えて練習をしなければいけないということになり、古くなったゲレンデスキーの金具を外して山スキーの金具をつけました。当時は、ツアー用の兼用靴などもっていなくて、普通の登山靴でも使えて、かつ安いということで、ジルブレッタの一番安い金具をつけて、群馬県の赤城山のスキー場で初めて山スキーの道具でスキーをしました。もちろん登る練習もかねてシールというスキーの後ろに貼り付けて前には進みますが、後ろに戻りづらくなっている道具を使ってスキーを履いたまま登る練習もしたように思います。
山スキーの金具は踵の部分を開放して、つま先だけがスキーについている状態で歩きやすくなるようになっていますが、このスキーを使ったのぼりはコツがあって少し練習が必要でした。まあ、登りは何とかなるとして、問題は滑りでした。実は普通の登山靴でのスキーは相当に難しいものでした。いかに普段スキー靴に頼ってスキーをしていたか良くわかりました。とにかく足首も、スキーの方向も簡単には安定せず中々うまく滑れませんでした。
そんなわけで、本番の尾瀬に行く前にツアー用のブーツ(コフラックのバルガ)を買ったのでした。これで万事うまく行くと思っていたのですが、実際は尾瀬で圧雪されていない雪の斜面を滑ることが難しいのを実感する事になりました。多くの仲間は皮の普通の登山靴でメンバーの大半が初めての山スキーという事で、足並みは揃わず実際は鳩待峠から悪沢岳の途中までと、鳩待峠からアヤメ平の往復、そして尾瀬ヶ原から至仏山の中腹までで終わってしまいました。行ったのは3月だったのですが、この時期は戸倉から歩かなければならず、足に豆はできたりで、散々な山行でした。
ところが、その少し後に先輩から改めて少人数で尾瀬に行くことになって、最初は乗り気でなかったものの結局それに参加して、再び尾瀬に行ったのでした。そのリターンマッチは足並みも揃っていたこともあって、悪沢岳経由で小至仏を経て至仏山の山頂に立つことができて、山頂から尾瀬ヶ原へ向けての大斜面をスキーで滑ることができました。4月になっていて、雪は新雪ではなくてザラメになっていて、ゲレンデの圧雪に近い状態で山スキー初心者の自分でもそれなりに滑る事ができました。
この樹林限界を越えた木の無い大きな斜面を雄大の景色の中を滑るのがとても気持ちよくて、山スキーの世界に引き込まれていきました。
その後、誘われるがままに、谷川岳の芝倉沢や、唐松岳の八方尾根などに行ってすっかり味をしめて、その年の5月の連休は立山連峰に行くことになりました。
初めての剣岳
前置きが長くなりましたが、これが剣岳との出会いになりました。正確には剣岳の近くに行っただけで実際は剣岳にはいっていませんが、これが縁でその後剣岳に通うことになりました。
さてさて、この年の計画は長野側の信濃大町の扇沢から、黒部立山アルペンルートで室堂にはいるというもので、車で扇沢まで行ったのでした。連休の最中ということで、駐車場も一杯で何とか場所を見つけて車を停めると、大混雑のアルペンルートに乗る事になりました。最初は黒四ダムまでトローリーバスでその後ケーブルカーで立山を越えてロープウエーで室堂(逆だったかも)に入りました。乗り換えの旅に混雑のため整理券を取ったりして半日かけて室堂に行ったように思います。
そこから少し歩いて雷鳥沢の下にベースキャンプを作りました。
テント村
そこは、すっかりテント村が出来ていてすごい数のテントでした。多分100張り以上はあったと思います。Tバーのリフト(有料)もあって、山というよりは臨時のスキー場でした。ところで、山スキーから雪山に入ったためというわけではありませんが、雪山でテントを張るときに必要なスコップやスノーソーをそのときは持って行きませんでした。無くても何とかなるもののあったほうがいいわけですがその時はどうしたかというと、大量に運び上げたビール、お酒、ワインが、ものをいいました。
実は、ビール持参で周りのテントの人からスコップを借りたのでした。。。。ここでは、お金よりビールが価値があったのでした。それにしても運び上げた酒類は相当な量でした。でも、天気もよく、人滑り下後のビールが最高だったことは言うまでもありませんでした。
このときの計画
この時の計画は:
この谷は雪が下まで続いていて快適でしたが、途中滝が出ていて危うく落ちるところでした。この辺がまだ、雪の山を良く知らない初心者であったわけで、今から思えばかなり無謀な計画だったのかもしれません。ただ、一緒に下りていた人たち(別のパーティ)には、普通のゲレンデスキーの道具でそれこそ無謀に下りている人たちもいて、アルペンルートで気軽にアクセスできるが所以の危険を実感しました。その時は事なきを経て無事に黒部ダムに下山しましたが、帰りのトローリーバスに乗るのにかなりまたされました。登山者は決まった車両だけで、観光客優先だからでした。
数日でも山にいると汗などですごい匂いを放つのでまあ、しかたの無いことですが。。。
まあ、いろいろあった山ですが、これに味をしめて、この後、山スキーと雪山に引かれて行く事となりました。この年は、この後、5月の終わりに白馬岳の大雪渓を滑ってスキーは終わりになったと思います。
(次回は、剣岳の2回目で小窓尾根について書こうと思っています。)
今年は、シャスタに登りたいという事になって、一応それなりの登山道具が必要になりました。さいわい、昔の道具が日本の実家にそのまま残っていたので、頼んでこちらに送ってもらいました。昨日その荷物が届きました。その中に、ピッケル2本とバックパックもありました。
見ていたら懐かしくなって、時間を見ながら昔の山の回想録でも書いてみようかという事になりました。
一番印象に残っている山
いろいろな山に行きましたが、中でも一番印象に残っている山と言えば、剣岳か谷川岳ということになると思います。どちらかといえば、やはり「剣」ということになるので、まずは剣岳のエピソードについて書いてみようかと思います。
山スキー
雪山に入っていくきっかけといえば、山スキーでした。登山もそれなりに行っていたし、普通のスキーもそれなりに行っていましたが、山スキーを始めたのは山もスキーも始めてしばらくしてからでした。
最初は、春の尾瀬(至仏山)にスキーに行くということになって、まずは道具を揃えて練習をしなければいけないということになり、古くなったゲレンデスキーの金具を外して山スキーの金具をつけました。当時は、ツアー用の兼用靴などもっていなくて、普通の登山靴でも使えて、かつ安いということで、ジルブレッタの一番安い金具をつけて、群馬県の赤城山のスキー場で初めて山スキーの道具でスキーをしました。もちろん登る練習もかねてシールというスキーの後ろに貼り付けて前には進みますが、後ろに戻りづらくなっている道具を使ってスキーを履いたまま登る練習もしたように思います。
山スキーの金具は踵の部分を開放して、つま先だけがスキーについている状態で歩きやすくなるようになっていますが、このスキーを使ったのぼりはコツがあって少し練習が必要でした。まあ、登りは何とかなるとして、問題は滑りでした。実は普通の登山靴でのスキーは相当に難しいものでした。いかに普段スキー靴に頼ってスキーをしていたか良くわかりました。とにかく足首も、スキーの方向も簡単には安定せず中々うまく滑れませんでした。
そんなわけで、本番の尾瀬に行く前にツアー用のブーツ(コフラックのバルガ)を買ったのでした。これで万事うまく行くと思っていたのですが、実際は尾瀬で圧雪されていない雪の斜面を滑ることが難しいのを実感する事になりました。多くの仲間は皮の普通の登山靴でメンバーの大半が初めての山スキーという事で、足並みは揃わず実際は鳩待峠から悪沢岳の途中までと、鳩待峠からアヤメ平の往復、そして尾瀬ヶ原から至仏山の中腹までで終わってしまいました。行ったのは3月だったのですが、この時期は戸倉から歩かなければならず、足に豆はできたりで、散々な山行でした。
ところが、その少し後に先輩から改めて少人数で尾瀬に行くことになって、最初は乗り気でなかったものの結局それに参加して、再び尾瀬に行ったのでした。そのリターンマッチは足並みも揃っていたこともあって、悪沢岳経由で小至仏を経て至仏山の山頂に立つことができて、山頂から尾瀬ヶ原へ向けての大斜面をスキーで滑ることができました。4月になっていて、雪は新雪ではなくてザラメになっていて、ゲレンデの圧雪に近い状態で山スキー初心者の自分でもそれなりに滑る事ができました。
この樹林限界を越えた木の無い大きな斜面を雄大の景色の中を滑るのがとても気持ちよくて、山スキーの世界に引き込まれていきました。
その後、誘われるがままに、谷川岳の芝倉沢や、唐松岳の八方尾根などに行ってすっかり味をしめて、その年の5月の連休は立山連峰に行くことになりました。
初めての剣岳
前置きが長くなりましたが、これが剣岳との出会いになりました。正確には剣岳の近くに行っただけで実際は剣岳にはいっていませんが、これが縁でその後剣岳に通うことになりました。
さてさて、この年の計画は長野側の信濃大町の扇沢から、黒部立山アルペンルートで室堂にはいるというもので、車で扇沢まで行ったのでした。連休の最中ということで、駐車場も一杯で何とか場所を見つけて車を停めると、大混雑のアルペンルートに乗る事になりました。最初は黒四ダムまでトローリーバスでその後ケーブルカーで立山を越えてロープウエーで室堂(逆だったかも)に入りました。乗り換えの旅に混雑のため整理券を取ったりして半日かけて室堂に行ったように思います。
そこから少し歩いて雷鳥沢の下にベースキャンプを作りました。
テント村
そこは、すっかりテント村が出来ていてすごい数のテントでした。多分100張り以上はあったと思います。Tバーのリフト(有料)もあって、山というよりは臨時のスキー場でした。ところで、山スキーから雪山に入ったためというわけではありませんが、雪山でテントを張るときに必要なスコップやスノーソーをそのときは持って行きませんでした。無くても何とかなるもののあったほうがいいわけですがその時はどうしたかというと、大量に運び上げたビール、お酒、ワインが、ものをいいました。
実は、ビール持参で周りのテントの人からスコップを借りたのでした。。。。ここでは、お金よりビールが価値があったのでした。それにしても運び上げた酒類は相当な量でした。でも、天気もよく、人滑り下後のビールが最高だったことは言うまでもありませんでした。
このときの計画
この時の計画は:
- 初日は奥大日岳に登り雷鳥沢を下降
- 翌日は雷鳥沢を詰めて剣御前の小屋を経て剣沢を長治郎谷の出会いまで滑って登り返し、雷鳥沢を下降
- 確か何か別の予定があったと思いますが、悪天で一日か二日テントで停滞したように記憶しています。前日の天気で目が雪目になって、大変な思いをしたと思います。サングラスもゴーグルもしていなかったので、ひどいめに会いました。。。
- 最後の日は一ノ越を経て黒部湖に向けて下降
この谷は雪が下まで続いていて快適でしたが、途中滝が出ていて危うく落ちるところでした。この辺がまだ、雪の山を良く知らない初心者であったわけで、今から思えばかなり無謀な計画だったのかもしれません。ただ、一緒に下りていた人たち(別のパーティ)には、普通のゲレンデスキーの道具でそれこそ無謀に下りている人たちもいて、アルペンルートで気軽にアクセスできるが所以の危険を実感しました。その時は事なきを経て無事に黒部ダムに下山しましたが、帰りのトローリーバスに乗るのにかなりまたされました。登山者は決まった車両だけで、観光客優先だからでした。
数日でも山にいると汗などですごい匂いを放つのでまあ、しかたの無いことですが。。。
まあ、いろいろあった山ですが、これに味をしめて、この後、山スキーと雪山に引かれて行く事となりました。この年は、この後、5月の終わりに白馬岳の大雪渓を滑ってスキーは終わりになったと思います。
(次回は、剣岳の2回目で小窓尾根について書こうと思っています。)
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